中釘陣屋(現在は秋葉神社敷地北西の角あたり 温室が数棟建っており その場所が陣屋跡だったらしいのです。陣屋の遠藤家)想像するに 3000石となると 110m四方60~70坪ぐらいかな 家臣は20人~30人ぐらい。 

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中釘陣屋?(想像写真)

山之内家の陣屋ともなれば  2年ほど前に旗本に格上げされたのです、 左の写真の様であったのではないかな ・ ・ と思うのですが(私のひとり思いです また その頃の 陣屋の絵図面 内堀跡 支柱跡 など 陣屋に関する物 人物名簿 役職 だれか 文献等 ありましたら 教えてください。県の博物館には無いとの返事です。) いかがですか。賛成 反対 いろいろ 反対意見 募集します 又四国の土佐との友好親善が成ったらいいな。 

 (ひとつ 質問 山之内 山内 やまのうち やまうち どちらが正しいのですか? 

また 現在はだれが お墓を お守りしているのか『4、5年ぐらい前までは土佐から墓参りが定期的に来ておられたとのこと』) 土佐山内氏は宗家(本家)が「やまうち」、支封(分家)は「やまのうち」を称した  と記録にあるそうです。 


秋葉天神社の周辺には 刀鍛冶屋 桶屋の 遠藤家(現在はプラスチックの成形会社 遠藤精機製作所となっております ) 当時はこの辺りはとても栄えていたそうです 神社のお参り信者のための 宿 食事処 遊郭 駕篭や ばくろ馬子 などもあったらしいです 。


陣屋から西へ葦のはえる低地を過ぎると「辻の庚申塔」高さ2,6m(大宮でも最大)があります。市指定文化財 またこの北に「穂積(ほずみ)神社」があり 社殿には絵馬、奉納額が飾られております。太鼓、笛、琴、琵琶などお神楽道具を描いたヨコ2m30cmタテ78cmの額は明治30年に伊勢神宮に参拝の、神楽を奉納した記念の物です。また日露戦争の戦勝祈願ガラス絵馬、石川氏奉納の丸絵馬等 変り種が奉納されております。

また当地では「穂積の囃子」が伝えられております。また近くの荒川土手には 今も山内一唯が構築した 土手が残っております、後年明治30年その土手の上に 土手を作り いかに先年から荒川の氾濫に対処した事がうかがわれます。


峰岸の石塔婆塚  宝来 福寿庵の百観音 元禄13年(西暦1700年)?建立 西国、坂東、秩父、の各霊場から写し祀った百観音を中心に中尊の如意輪観音像など 103体の仏像郡 度々の洪水で大半が流出されその度に補填されたとのこと現在も念仏講が行われております。

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福寿庵 正面(平成20年)

また 宝来明神宮には山之内一唯の家臣が新田開発の成就を願って銅鏡(市立博物館寄託)が奉納されました。平成22年11月7日(日曜日) 9:00~14:00 宝来明神にて公開展示をおこなわれました。またここ宝来神明宮はさいたま市によるとー神明宮ーでなくー神明社ーとなってます、銅鏡にも神明宮と表記してあります。