昨年11月に 宝来の神明宮に於いて 山内一唯の家来が 新田開発を祈って “銅鏡“を奉納されました。現在は市の博物館に展示されております、今回は特別に 神明宮に帰って来ました、そこで 私 がちょっと疑問に思った事があります。銅鏡の表書きにも 神明宮と彫刻されてます。市の案内状には神明社になってます 社 と宮 の違い を 報告したいと思います。平安時代に編纂された「延喜式神明帳」では宮号がゆるされていたのは、伊勢大神宮など11社のみとされ、宮号は特別な社格とされていました。

江戸時代には八幡宮や天満宮などが次々に勧請され、神社の社格に寄らず、宮号が使われるようになってきました。伊勢神宮を勧請した神明宮も同様です。明治時代に入ると、一般的に(神)社号が定着し、宮号は後続を祀る神社や特別の由緒をもつ神社のみに使われるようになりました。

宝来の神明社の銅鏡に銘文は「宮」と記載され、江戸時代後期に編纂された「新編武蔵風土記稿」にも「宮」と記載されていますが、明治前期に編纂された「神社明細書」には「社」と記載されています。このようなことから、宝来の神明社は近世には「神明宮」と敬称されていたものが、近世に入り、神仏分離等の明治政府の宗教政策の影響をうけることにより「神明社」の名前が定着したものとおもわれます。
(さしおうぎ歴史散策会より、指扇餅つき踊りマップ参照)

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平成22年11月7日公開の宝来神明社銅鏡

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平成12年2月10日宝来 小林氏所蔵