川越線(明治36年川越馬車鉄道として発足したが実際に運行したかな?)川越電気鉄道の前身 川越電灯の合併 大正3年神流川水力電気を合併武蔵水電と改称 旧16号線の路面と並走しての電車 このお陰で大宮に電気が通りました。 但し この明治の時代に国道16号線という 国道があったのかな? また 商店街を通らずに この辺鄙な場所を通らなければならなかったのかな、

また 西武大宮線に移行するのは川越電鉄 と西武大宮線は 一時 併走していたのか 川越電鉄が バス運行 に変更になった時から・・・いまでも 当時の荒川鉄橋の橋桁が荒川の川岸に ポツンと 残っています。川越が出たところで 先日川越藩火縄銃鉄砲保存会の会長さんに おはなしを聞く機会に恵まれました。幕末 江戸のお台場の守護を命ぜられた川越藩は鉄砲隊を組織してこの任にあたりました

(零れ話:ちんちん電車の通っていた頃 宝来 峰岸 領別所あたりでは大麦の栽培が盛んで 各農家で 脱穀をしておりました、それは モーターを使いますが、その過熱によりこの辺りでは 火事が頻繁におこっていたそうです。また 現在の駅辺りは とても寂しいところだったらしくて夜の一人歩きは とても怖かったそうです、時の駐在さん でさえ 夜の外出は控えたそうです。)


おおなりーなみき(旧16号上小町西野時計店あたり?)ーうちの(旧16号線かっぱ寿司あたり)ー ごみかいと  ーごうど(合土 旧16号金子酒店前)ーたかぎ(旧16号線ピゼリアあたり)ーくろすーぬまはたー かわごえ


以上が各停車場です 現在は ごうど の地名は 指扇村が大宮町との合併の時廃止されて ありません 
(ごうど の金子酒店さんの祖先 は幕末の戊辰戦争で函館で 新撰組の土方歳三 陸軍奉行 と 共に戦いました。 西南戦争 日清戦争 まで陸軍に籍を置き 陸軍中将まで行かれた 子孫です 現在 NHK 「坂の上の雲」にも出てくるかな)
また たかぎ の地名も飛び地になっており ごみかいと は 現在は もっと 南 だと思います。

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川越馬車廃業記念 大正8年撮影


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川越電気鉄道 川越電気鉄道


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大宮上小町付近 通称ちんちん電車昭和15年