さしおうぎ歴史散策の会

指扇地区の神社、お寺、祠、お地蔵様などの歴史、言い伝えを教えてください。

お知らせ

指扇地区の神社、お寺、祠、お地蔵様などの歴史、言い伝えを教えてください
SL
平成20年8月12日 11:00頃 秩父鉄道 花園小学校付近踏み切りで


《 書成のHPはこちら 》

新井堀の内遺跡 の 埋蔵銭

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新井堀の内遺跡(蓮田市)から国内最大級の埋蔵銭が発見されました
かの太田道灌と関連があるとかないとか…

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一般公開された時の様子です

金子山城

金子山城について
西区高木淡島神社がある台地を利用して築かれた平城。鎌倉幕府の少し前 城主金子彦十郎家忠(出は入間の豪族、武蔵武士7党のなかの村山党に属す多摩から指扇あたりまでを領地す)は源の頼朝の平家討伐軍に参じ壇ノ浦にて活躍その後河越氏に敗れ落城を確認城の巽の方角にて切腹〈その時井戸に刀を2振り投げ入れた〉その後旧豊臣方の福田又左衛門と高野隼人が居館し陣屋を構えた。(井戸はどこか探せるかな)

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        金子山城 跡地                            本丸のあった淡島神社

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金子山城 空堀 跡


ただし、城といっても姫路城みたいな城ではなく天守閣などはなく 館(やかたあるいは藁葺きの)陣屋といってよいだろう。平安時代に入間・多摩地区を支配した金子一族(現在入間市金子と言う地名が残っている)の者で、金子彦十郎が築城したのだろうか。
金子彦十郎は河越氏と戦ったというから平安から鎌倉の人であろうか。

金子一族で有名な人は「平家物語」にも出てくる金子十郎家忠で、武蔵7党に属し保元の乱で壇の浦に至る源平合戦に加わり(熊谷二郎直実の配下)、数々(?)の武功を立てた典型的な武蔵武士である。この金子彦十郎もその一族がこの地に済みついたのか、またこの地の3Km東南に大成館も金子氏の
居館の跡である。大成館は金子氏によって建立された普門院の境内となっている。

[城郭の歴史]
確たる文献史料はなく、金子彦十郎が居城し河越氏と争い敗れ滅亡(その時 城の東南の地で金子氏15将が落城を知り切腹したと伝えられる その際井戸に剣二振りを投げ入れたと 記されている 後年明治34年?土手作成する際 15の遺骨が発見され領別所の福正寺に祀られ石碑が建立された。当時の市議会議長の永田氏が石碑の文字を刻んだとか?)したと伝えられるのみである。金子氏は入間周辺に発祥の地を持つ武蔵屈指の豪族であるが、多摩地区、入間、狭山、川越、川島、川田谷、さいたま市の旧大宮地区近辺にまで勢力を伸ばしていた。江戸時代になると豊臣氏の旧臣高野隼人がここに住み陣屋を構え後に福田氏が後に続く という。今でもこの近辺に 高野 福田 金子 の性が多く?・・・(昭和55年大宮市が発行した「大宮いまむかし」には掲載されていません)

[城郭ガイド]
指扇駅の北方、西大宮バイパスを越えた場所で、西端に淡島神社がある台地を利用して築かれた城である。現在、城址は宅地化のためにかなり破壊されており、淡島神社の西側に空堀を残すのみである。城址付近は現在も宅地化が進んでいる。のどかな景観はいつまで保つことが出来るだろうか。只今 県の文化財に調査を依頼中2010,06

ここへきて 金子山城が きれいに立木が伐採されてしまいました 社(やしろ)がポツンと








山内一唯

ここで一唯について 1600~1663指扇 山内家初代領主 通称伊豆の守・豊前の守(ふぜんのかみ)。藩祖一豊の弟康豊の4男として慶長五年 掛川に生まれる、没したのは寛文三年 年は64歳(戒名 冷伯院殿釈風残大居士) 兄は2代藩主忠義。 元和2年(1623)旗本に取り立てられ、武蔵指扇に3000石を拝領した 2代目一輝(一唯の長子で寛文三年から領主に、しかし不幸にも病にて寛文四年に没している。(墓所は浅草の報恩寺に葬られています) 3代目一俊(一唯の次男 兄の一輝が若死したので三代目領主となる。しかし一俊も延宝三年27歳で没した。彼も浅草の報恩寺に葬られています。)

4代目当主 豊房 4歳の時に指扇領主となる。豊房は武芸にも優れ 又 歌にも鞠にも堪能であり 本家の土佐でも注目の人であった。)一方 四国 土佐藩では 藩主 豊昌に子が無く 豊房は4代藩主 豊昌の養子になって5代藩主となる。豊房の弟 豊隆も土佐藩6代目藩主となる。指扇3000石の青年旗本が一挙に 四国土佐藩25万石の大名になって しまったのです。(すごいと言うか破格の出世) 元禄15年池田綱昌の子女と結婚 (時まさに 忠臣蔵の時代) 指扇を引き払うとき 豊房は領民に貸し与えていた1500両を 取り立てることもなく 領民に給じられたことに 領民はことのほか感謝したんだと。

しかし それほど感謝したのなら なぜ陣屋を保存しなかったのか? 

山内家の本家は 土佐山内家 分家は数が多く  麻布山内家、指扇山内家、後中村山内家、備中中村山内家、本町邸山内家 等 10箇所  幕末に活躍した(現在NHK大河ドラマ坂本龍馬にでてくる近藤正臣役)山内容堂(隠居後)も分家の出 15代藩主豊信となり維新に貢献しました。

(補足 家康が江戸幕府を開いたのが1600年  忠臣蔵が元禄15年1702年) (零れ話:時の領主が家臣の奥様を 横恋慕し・・・・・その家臣とご内儀 は・・・・ 法光寺 に埋葬されているとのこと いつもの時代も あるのですね~~~また 法光寺の南東に 阿弥陀寺という ちいさな お寺があります ここに 一唯の家臣 土州 本山氏伊兵衛茂正 のお墓があるとのこと) 


  

さいたま市大木戸遺跡

さいたま市大木戸遺跡見学会のお知らせ 埼玉県埋蔵文化財調査事業団

さいたま市大木戸遺跡の見学会
を開催します!
縄文時代後期の集落跡にたくさんの土器が出土されたようです。

11月30日(土)10:00~12:00 / 13:00~15:00
大木戸ってどこだ!栄高校の南、西大宮バイパス、西大宮駅と栄高校の真ん中辺り

西大宮駅から集合場所まで周辺地図はこちら →  http://goo.gl/maps/QdDBi
見学会パンフレットはこちら → http://www.saimaibun.or.jp/odekake/kengaku-news/
大木戸遺跡についてはこちら → http://www.saimaibun.or.jp/h25/3082.htm

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さいたま市大木戸遺跡 見学会

11/30(土)に行われた さいたま市大木戸遺跡の見学会 の様子です。

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↑ この湧き水が滝沼川に流れ込みます。


指扇領主 山内家

山内一豊 の 弟  康豊(やすとよ)の4男 一唯(掛川城に生まれる)1600年

初代領主(本人) 山内一唯(かずただ) 1623年元和2年~ 
2代目領主 息子  山内一輝(かずてる) 1661年寛文3年~
3代目領主 次男 山内一俊(かずとし) 1664年寛文6年~
4代目領主 一俊の長男 山内豊房(とよふさ) 1675年~1689年→(土佐藩主)

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山内一唯の墓所




山内一唯

ここで一唯について 1600~1663指扇 山内家初代領主 通称伊豆の守・豊前の守(ふぜんのかみ)。藩祖一豊の弟康豊の4男として慶長五年 掛川に生まれる、没したのは寛文三年 年は64歳(戒名 冷伯院殿釈風残大居士) 兄は2代藩主忠義。 元和2年(1623)旗本に取り立てられ、武蔵指扇に3000石を拝領した 2代目一輝(一唯の長子で寛文三年から領主に、しかし不幸にも病にて寛文四年に没している。(墓所は浅草の報恩寺に葬られています) 3代目一俊(一唯の次男 兄の一輝が若死したので三代目領主となる。しかし一俊も延宝三年27歳で没した。彼も浅草の報恩寺に葬られています。)

4代目当主 豊房 4歳の時に指扇領主となる。豊房は武芸にも優れ 又 歌にも鞠にも堪能であり 本家の土佐でも注目の人であった。)一方 四国 土佐藩では 藩主 豊昌に子が無く 豊房は4代藩主 豊昌の養子になって5代藩主となる。豊房の弟 豊隆も土佐藩6代目藩主となる。指扇3000石の青年旗本が一挙に 四国土佐藩25万石の大名になって しまったのです。(すごいと言うか破格の出世) 元禄15年池田綱昌の子女と結婚 (時まさに 忠臣蔵の時代) 指扇を引き払うとき 豊房は領民に貸し与えていた1500両を 取り立てることもなく 領民に給じられたことに 領民はことのほか感謝したんだと。

しかし それほど感謝したのなら なぜ陣屋を保存しなかったのか? 

山内家の本家は 土佐山内家 分家は数が多く  麻布山内家、指扇山内家、後中村山内家、備中中村山内家、本町邸山内家 等 10箇所  幕末に活躍した(現在NHK大河ドラマ坂本龍馬にでてくる近藤正臣役)山内容堂(隠居後)も分家の出 15代藩主豊信となり維新に貢献しました。

(補足 家康が江戸幕府を開いたのが1600年  忠臣蔵が元禄15年1702年) (零れ話:時の領主が家臣の奥様を 横恋慕し・・・・・その家臣とご内儀 は・・・・ 法光寺 に埋葬されているとのこと いつもの時代も あるのですね~~~また 法光寺の南東に 阿弥陀寺という ちいさな お寺があります ここに 一唯の家臣 土州 本山氏伊兵衛茂正 のお墓があるとのこと) 

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山内一唯の墓所

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妙玖寺 山内一唯の墓所

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